新春特別大護摩供



ご祈祷・奉納

新春特別大護摩供のご挨拶

●2024年1月1日

 新年あけましておめでとうございます。
 例年よりだいぶ暖かい除夜の1日を迎えておるかな、そんな気温の中でございます。
 こうして富山の総代ご重役、真和会の方々そして信徒の方々大勢様のご参拝をいただき元朝護摩の勤めをさせていただいたわけでございます。
 こうした「除夜」という言葉でございますが、夜を除くと書いて除夜、夜がないわけですが、こういう考え方というのはどこから起きたのかと調べてみますと、昔は年神様をお迎えになる正月、ご先祖様の御霊をお迎えするお正月ということで夜を徹して 家の中を明るく灯してそして神様であり仏様をお迎える、そんな風習習慣が除夜という言葉に繋がっていると、そのように説明がなされていますが、そういうことになりますと春のお彼岸が、あるいは秋のお彼岸、あるいはお盆、これは今でも日本民族としてご先祖供養というような意識はお持ちになっている、今申しましたように昔はこの正月もご先祖様をお迎えをするというそうした意識が一般的であったわけでございます。
 今はこうして "一年の計は元旦にあり" 1年の無事を祈るというということでございます。そして本年令和6年は、十二支でもうしますと 辰年でございます。辰は龍・ドラゴンと一緒でございます、辰(竜)という字、龍という字は、このスタンドアップという「立」の漢字が入っています。要するに上昇気流に乗る、あるいは乗るべき年というとだそうです。
 十二支の中でもこの辰・龍だけが架空の動物で、他の11種は命ある動物として認められておりますが、辰だけは架空の動物、そしてその辰=龍というのは必ず絵を見ましても全て玉を持っております。 だいたい3本から4本指、そして皇帝が描く竜というのは5本指ですが、その握っておる玉というのが、宝の玉で自分の思いがいかようにも叶うというめでたい玉ということで、宝珠を持って天に登っていく・・・どうかそのような皆様方の本年1年であっていただきたいなと心から念願をしただ今護摩修行をさせていただきました。
 しかしながら昨年を振り返ってみますと、各所において戦争あるいは隣国への侵攻というようなそんな痛ましい惨事が繰り返されております。2ヶ月ほど前、私どものお檀家様がお軸をご奉納頂きました。女性の方で女流の書家さんでございます、母親の供養ということでご奉納されました。そしてその書かれておる文字が ”不遷怒” という三文字でございました。
 ”不”というのは不足とか否定形な文字でございますけれども、”遷”というのは遷すという文字で、右から左に移すという、東京を遷都するなど、都を東京に遷都しようなどに使う文字で、”怒”は怒るという文字で、怒りを遷さずとよびます。
 今、日本だけではないと思いますけれども、個人を尊重するというその個人主義が顕著な社会になってきておるかな、我々はコロナで経験をいたしました。家に籠もって人になかなか会えなくて会うことができなかった、そして本来そこで、人と人のつながりがいかに大切であったかということを学び・・・学ばなければいけませんでしたが、この個人主義がどんどん行ってしまうと利己主義に結びつかないかな、個人ファーストに結びつかないかな、自分さえよければ自分の利益にさえよければ人は構わない、本来は人と人のつながりの大切さを学ぶべきところを、そうした個人ファースト主義で行ってしまうと社会の安寧も崩れていってしまわないかなということです。
 身をもって教えてくれた昨年であったと私は認識をさせていただいたところでございます。
 そうした出来ればですね、個人主義も結構ではございますけれども、お互いがお互いを思いやるという・・・そういう優しい心をもう一度見つめ直す、それが実現できる世の中が本年であってほしいと感じる昨今でございます。
 それぞれ皆様方の願い、こうなってほしい、そして我々がご本尊様に願いを託し、御本尊様の願いというのは誓う願いと書いて誓願と申します。必ずその期待に応えてあげる救ってあげたいという慈悲の心をお持ちのことです。そしてその間には願うべき我々が、しっかりと努力を傾注する、その努力と自分の願いと ご本尊様の誓願が3つ一体になって実現される・・・それがこの護摩の求めるところでございます。今申しましたように、本年がますます皆様方がご多幸でありますように心から念願をさせていただき、年頭に当たり一言を法話の一端に変えさせていただきます。
 本日のご参列、誠にありがとうございました。

合掌 
密蔵院住職 山口正純


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