密蔵院の歴史とご本尊の由来


当山は、海寿山・満福寺・密蔵院と号し、その濫觴をもとむれば今を去る五百有余年の往昔、紀州出身の僧永海法印嘉吉二年(1443年生)を以って中興開山となす。この永海法印は若年にして高野山に登り、その師を明王院住職永尊法印に求め出家得度。その後、明応元年(1492年)10月16日、60歳にして入寂されるまでの25年間、この地に止り、道・学・実の研鑚と布教活動に専進し、当山の礎を築かれました。爾来、幾星霜、世に迂隆、時に盛衰あるも、法燈連綿として今日に及び、現在、33代を数えます。この間、三たび山内伽藍を始め寺宝、古文書、御朱印状等悉く焼失し、再興不可能の感をもつも歴代住職よく努力せられて復興を計りました。
その後、明治17年(1884年)島津家江戸屋敷の門を移築して山門とし、近隣にその美を競いました。また、当山は、延命地蔵菩薩(総高二尺一寸五分、慈覚大師の作、平将門の念持仏の伝承をもつ、平安時代藤原期の作)を本尊となし、明治初期までは京都醍醐寺無量寿院の末として中本寺の寺格と御朱印十一石、並びに三十八ヶ寺の末寺を有し、川口、草加、越ヶ谷、浦和、大宮の各地域寺院に影響力を有する川口市内有数の古刹として知られています。