密蔵院の仏様


阿弥陀如来
本堂入って左側にある阿弥陀如来像
阿弥陀とはサンスクリット語のアミターバ・アミタユースの音写語であり「無限の寿命をもつ者」「無限の光明をもつ者」の意より無量寿如来・無量光如来とも訳される。
我が国においては平安時代に起こった末法思想、浄土教の発展と共に一般に広く信仰されるようになる人々を極楽浄土に迎える仏、全てのものは仏の慈悲より生じ最後には完全なる調和と安息を与えてくれることを教え示して下さる仏様である。

歓喜天(聖天)
本堂入って右側にある秘仏
歓喜天(聖天)像は、秘仏のためお姿をご紹介することはできません。
この仏様は元々インドにおける仏教修行の邪魔をする、災いをもたらす神であったが、仏教に取り入れられてからは障害・苦難を取り除き仏法を守護する神に変格していった。その名はナンディケーシュヴァラであり、その意味は「歓喜自在」であり密教においては、古来最も現世利益に秀でた神「大聖歓喜天」略して聖天様という。
多くは秘仏として祭られ、夫婦和合・子授けの神として信仰を集めている、『世の中に怖いものと問われれば壱に聖天、弐に税務署』ご利益絶大の仏様であります。

大黒堂
福徳円満な印度の神、有福糧食を司る。仏教と共に日本に伝えられた。もともとは悪を制する神で、打出の小槌は、宝を出す槌であり、怠け者を打つ槌でもある。

ふれあい布袋尊
中国の唐末から後梁(五代)の頃実在した契比と云う禅宗の高僧。物を大切に又物事にこだわらず、寛容仁忍こそ財宝福寿を授かると説かれた。

弘法大師修行像
宝亀五年(774年)六月十五日、現在の香川県善通寺市にご誕生。十五歳にして当時の都、奈良に入京、十七歳の時に大学に入学するも仏教追道の心やみがたく中退。各地を遍歴して仏道を歩み仏竟を求めて修行。二十歳にして出家得度。二十一歳にして戒を受け空海と改名。三十一歳にして中国の都長安に至り恵果和尚より真言密教の教えの全てを受法。帰国後、大乗仏教の真髄たる真言密教の普及と済生利民のお心のもと超人的活躍をされる。まさに我が国に於ける仏教者の師標として今日に至るまで多くの大衆から厚い尊崇を受けられている。六十三歳にして高野山に入定せらるる。醍醐天皇より弘法大師と謚名を賜る。

興教大師像
嘉保二年(1095年)現在の佐賀県鹿島市にご誕生。十三歳の時入京。仁和寺に於いて得度。修学修行を積まれ二十歳にして高野山に登嶺。弘法大師を崇敬、大師の歩まれた道を範として刻苦勉励日夜を分かたず精進研鎮、その学徳並ぶものなしと云われた。高野山を再興し、大師教学を振興したご功績は誠に大。根来山に於いて四十九歳を以って入滅。東山天皇より興教大師と謚名を賜る。

大日如来像
摩訶毘慮遮那如来とも。この大宇宙森羅万象ことごとくが大日如来、由に我が身体(小宇宙)も大日如来と同体なりと説かれるあらゆる徳をそなえた真言宗の教主さま。


阿弥陀三尊像
阿弥陀如来を中心に向かって右が勢至菩薩、左が聖観世音菩薩。それぞれの菩薩は阿弥陀如来の勢至菩薩は智慧を表し、聖観世音菩薩は慈悲を表す。

みかえり地蔵尊
「人をのみ渡し渡して己が身は、岸にのぼらぬ渡し守かな」混沌とするこの世の中より仏の世界へ導いてくれる仏様人々の苦しみを除き、楽しみを与える(抜苦与楽)後ろを振り返り、全ての人々を救わんとするお地蔵様。

水掛け地蔵尊
子供の御霊をその深い愛・慈悲の心でお救い下さるお地蔵様。

十六羅漢像
羅漢は阿羅漢あらはんの略で、サンスクリット語の「アルハット」が語源です。直訳すると「...するに値する人」「受ける資格のある人」という意味です。これから発展して「修行を完成して尊敬するに値する人」「悟りを得た人」「悟りをひらいた高僧」を指します。お釈迦様の弟子 で特に優れた代表的な16人の弟子を十六羅漢といいます。

四国八十八ヶ所 お砂踏み参道
四国八十八ヶ所お砂踏み・四国八十八ヶ所の霊場よりお砂を移し、そのお砂を踏むことによって巡礼のご利益をいただく。歩を進めるごとに「南無大師遍照金剛」とお唱します。

誕生仏
「天上天下唯我独尊」の言葉で知られる、お釈迦様の誕生のお姿です。御釈迦様は、お生まれになると、自ら七歩歩まれ右手で天を指し左手で地を指し「天上天下唯我独尊」の言葉を発っせられたと伝えられています。4月8日の花祭りでは灌仏会(かんぶつえ)が行なわれます。(灌仏会:お釈迦様に、甘露にみたたて、甘茶をかけ、誕生をお祝いする行事です。)

銭洗い弁財天尊
七福神唯一の女神。印度の神で芸術音楽の仏神、弁舌才智の神、水の神であり、財宝福徳、学業増進、商売繁盛の仏神としれ広く信仰される。

納めの不動尊(山門前)
皆様から納められた古札やお守りなど、お不動様の聖火によってお焚き上げし、又、災いを取り除いていただくお不動様。