安行桜の生みの親

沖田雄司さんインタビュー


- 沖田さんがこの桜と出会い増殖にいたった当時のことを教えてください。

 私がこの桜を増殖し始めたのは、今から60年ほど前の昭和20年代初頭だったと思います。埼玉県立植物見本園(現:植物振興センター)創設者の田中一郎さん宅の家(現賢可)の裏に早咲きの綺麗な花びらが目に入り、穂木を貰い接木して育てました。花があまりにも綺麗なので「何という桜か」と問われることが多く、当時はまだ名称が無いので、その都度「沖田桜とでも申しましようか」と冗談ながら、お知り合いの方々にお売りしたこともありました。

― 安行桜が、「沖田桜」とよばれる由縁ですね。増殖をはじめた当時の事をもう少し詳しく教えてください。

 戦中戦後、食糧難時代で米麦の供給制度があり、このあたりも植木畑を伐採開墾して米、麦の生産に切り替えましたが、この安行の地は、もともと植木に向いた土壌で、農作物の生産には適しませんでした。そこで、当時、会長、村長、私ども委員の有志をもって、麦の供給控除面積を認めていただき、植木生産の土地面積を残すよう強く県の農務課へ陳情したところ、県立として植物見本園を造ることを条件で認められました。ですが、すでに多くの植木畑を伐採した後のため、この見本園に寄贈する植木がありません。椿の刺木をしたりする中でこの桜がいいからと園の職員に接木を教え、栽培、繁殖などを教えました。

- この桜が一般に「安行桜」と呼ばれるようになったのはなぜですか?

 「こんないい桜に、名称がないのはかわいそう」ということになり、当時の見本園職員の中村農学博士らが、「安行緋寒(ヒカン)桜」と名称し、桜図鑑に掲載したと聞いております。略して「安行桜」と通称するようになり、今では、安行を代表する名物花として、親しまれております。また、「大寒(オオカン)桜」などの別名が有りますが、それは、恐らくよく似た別のものと思います。

- 安行桜がもつ独特の魅力についてはいかがですか。

 安行桜はその美しさのほかに、他の一般的な桜と異なる性質がいくつかあります。「桜切るバカ 梅切らぬバカ」という昔のことばがあります。これは、見栄えを良くするために、樹木の枝を切り払って剪定する場合、梅は切り口の回復が早いので、かなり太い枝を切っても大丈夫なのに対して、桜は切り口から腐りやすいのでやってはいけないという意味なのですが、この桜は切花としても売れるほど いくら切ってもよいという特徴を持っています。また、「天狗巣病」(てぐすびょう)になりにくく、枯れ枝にならないこともあげられます。それと、安行桜は吉野桜より一週間ないし十日以上早く咲く反面、花期が長いので、吉野桜が咲くころまで見られ、花色を競って一段と花色がよく見えるなどがこの桜の魅力でしょう。

- 密蔵院と安行桜について教えてください。

 私が、この桜を作り始めた頃、まだ、植物見本園を造る前のことです。春のお彼岸に、私の菩提寺である密蔵院へお墓参りに行った折、ご本尊さまにお供えとして持っていきましたところ、先代住職の目にとまり、「これは綺麗。ぜひこの桜を、参道へ植えてください」と申しでてくださいました。慈林の田中家にある原木の他は、私の家と密蔵院のこの桜が安行地区で一番古いものでしょう。
 現在、60年木として各新聞等の花便り、お花見案内には必ず「安行密蔵院、川口の名所!」などと紹介されるため、とても有名になりました。今では、お寺の花祭りには、一日三千人以上の花見客で賑わい、休み茶屋、そば屋なども出店するほどです。

- 最近、「安行桜」がいろいろな呼び方や各地で発祥を噂されていると聞いていますが。

 私が穂木もらってきたそのまた昔の原木は、ある説では、幸手市・権現堂堤桜並木の中の変種であるのでは、など開き及びましたがこれもさだかではありませんし、他にも色々な事を申される方も居るようですが、桜の種類は何百種あるかわかりませんし、現に私の家の桜も安行桜から変種が生まれ花を咲かせております。華麗なる彩りに脚光を浴ぴるにいたった今日ですが、当時のことを知る人が大変少なくなり、世の人々がいろいろな、そして勝手な想像による発祥を言っては
 桜そのものも不憫であり、私の責任でもありますので、本当の生い立ちをお話させていただきました。

- 沖田さんありがとうございました。またお話をお聞かせください。


(2007年2月27日)



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