銘銘掃掃(めいめいはくはく)


「六波羅蜜とは」


 台風の影響を心配していましたが、うまい具合にそれて昨日も今日も天高くすがすがしい秋晴れに恵まれてのお彼岸を迎えることができました。
 普通、お彼岸といいますと、正式には3月の春の彼岸をさしますが9月は「後のお彼岸」と昔からされてきました。その秋の彼岸が1週間あるわけでございまして、ちょうど昨日がお中日ということでございました。
このお彼岸について、本で調べましたら日本においては西暦806年、つまり、今年が2006年ですから、ちょうど1200年前にですね、和号で言いますと、大同元年の平城天皇のときに朝廷が建造した国分寺において、金剛般若経というお経を読授したのですが、それが日本における彼岸の始まりとされているようです。
 今の皆様がお寺のほうにあるいは墓地のほうにお参り頂いて、ご先祖のお墓参りをするという習慣はおそらく江戸時代に入ってからなったのかと思いますけれども、国家や国民の安泰を祈願することを始まりとして、今日の彼岸というものが形成されたと推測できるわけでございます。彼岸というのは サンスクリット語でパーラミータ、それを漢訳して「婆羅蜜多」となるわけでございすけれども、一言でいえば、「仏さまの悟りの世界に到る一週間でございますよ」ということではなかろうかな、と言われております。

 山門の前の掲示板に、我々が日々、心穏やかに生活していき、悟りの世界に至る6つの方法「六婆羅蜜」について書いてございますので ご紹介させていただきます。


   六婆羅蜜
   布施・・・物事を分かち合う心
   持戒・・・よい生活習慣をもちましょう
   忍辱・・・耐えよう希望を失わず
   精進・・・こつこつと努力を続けましょう
   禅定・・・落ち着きましょう呼吸を整えて
   智慧・・・心の中に信心の光を灯しましょう

 お彼岸は、理想の境地に到達するため、これら六波羅蜜を実践するときなのです。私が、昔読んだ詩の中で、藤本幸邦さん という人の詩に、


   はきものをそろえると心もそろう、心がそろうとはきものもそろう
   脱ぐときに揃えておくと履くときに心が乱れない
   だれかが乱しておいたら、黙ってそろえてあげよ
   そうすれば、きっと世界中の人々の心も揃うでしょう


というのがあります。
 この詩の中には、みなさんが日常生活の中で 当たり前のようにやっていることがうたわれているのですが、実は、この彼岸の主旨である六波羅蜜の布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧、というものをすべて読み取ることができます。
 人のものを自分と同じようにやさしい親切な心をもって揃えてあげるというのはこれは間違いなく仏教でいうところの布施ということでございます。
布施というものは、お金や物を人に施すことだけを意味するのではありません。人に、にこやかな顔や優しい言葉をかけるといった行いのひとつひとつが実は 布施行なのです。だれかのはきものを揃えてあげる、という行為もまた、立派な布施なのです。
 言うはやすく行いは難しですが、考えてみれば、今日お集まりの皆様もそれぞれのご家庭において、ご主人やお子様、あるいは孫が玄関で靴を脱ぎ散らかしていたら、まぁ、最初は文句を言うかもしれませんが(笑)、黙って揃えてあげているのではないでしょうか。玄関が整理され、お家の中全体も整頓されていくことで、心もまた、清らかに整っていくのだと思います。

 また、2つめの持戒について言えば、よい生活習慣を続けていくこと、3日坊主ではなく、人がやらないからといって文句を言うのではなく、さきほどの詩の「黙ってそろえてあげよ」にありますように、黙々とこなしていく習慣を持ちましょうということであります。

 3つめの忍辱については、耐えるという事には 非常にストレスをともないます。体調を崩したり、場合によっては最悪、鬱病にさえなりかねません。
しかし、何のために耐えるのかという答えを自分自身でもっていれば、それほどの苦痛を感じないで人は頑張っていけるものです。希望を失わず というのは、何事も目標をもって忍耐強く 取り組みましょうということです。

 4つめの精進というのは、与えられた事をひとつひとつ確実にこなしていく事の大切さを言っています。今は、インターネットの世界でボタンひとつで大もうけできる時代でございますが、額に汗して働いた果実が尊いのはいつの時代も変わらぬものです。やはり、こつこつと怠けることなく、あるいは、諦めることなく精進していくという事は、結果はどうあれ、大きな尊さや意味があるのではないかと思います。

 5つめの禅定での「落ち着きましょう呼吸を整えて」については、怒りや不安などで、心が落ち着かなければ、間違った選択をしてしまうこともあるわけでございまして、これを避けるために 真言宗では、数息観(すそくかん)という心を安定させるための呼吸法を実践しています。何をするのかと申しますと、簡単にいうと自分の呼吸を数えさせるのです。吸う息を短く、吐く息を長くというのが基本になります。吸うのを何秒、はくのを何秒ときめて修行僧に行なわせるのですが 最初は呼吸困難になるんですね(笑)。
吐くときは肺にたまったものを出すだけでなく、体全体にあるものを全部吐き出すような気持ちで行うことが大切です。皆さんもぜひ機会があれば 試していただきたいのですが、ただ、住職に言われ実行してみたら呼吸困難になって病院に運ばれた(笑)というのは、困りますのでそうなる前におやめいただければ(笑)と思います。

 最後の智慧についての、「心の中に信心を灯しましょう」ですが、何かを実行するとき、自分の損得だけで判断するのは、決して智慧とは言わないのでございます。昨日も写佛の会での奉仏式の際に、信心と信仰についてお話させていただいたのですが阿字観(あじかん)などを行って、自分の心を深く掘り下げて 確かめていくというのが信心なのだろうと思います。同時に信仰というのは、ご本尊様に相対してお経という仏の教えを自分の口で唱え、自分の耳に入ってきて、自分の日々の行動に反映させていきます。どちらも、本当のあるべき自分とは何かを自分で突き詰めて考えることができるのは智慧なのでございます。

 これらのどれかひとつが欠けても、六婆羅蜜にはなりません。でも、逆に言えば、一つをきちんと実行していくことで、他の5つのものも自然に一体となって身についていくことができるのではないのかと思います。
 分かち合う心をもって、よい生活習慣をもち、耐えながら希望を失わず、こつこつと努力を続け、怒りや不安で心が乱れそうになったら呼吸を整えて、知恵と慈悲の心を日々の生活に実践していきましょう。というのが六波羅蜜のお彼岸の大きなテーマであり、教えではなかろうかと思います。

 是非、今後もこれらの教えを日々の生活に生かしてご精進、ご努力を続けていただければと思います。本日はありがとうございました。