銘銘掃掃(めいめいはくはく)


「九十九頭の牛」


 先日、ひろさちや先生の書かれた本を読む機会がありました。面白い話なのでちょっと紹介させていただきます。
 タイトルは 「九十九頭の牛を百頭にした男」といいます。  昔、インドに99頭の牛を持っておった男がある日、あと一頭増やせば100頭になる。もう一頭 をどうしても手に入れたい・・・・そこでその男は悪知恵を思いつきます。どんな悪知恵かと申しますと 自分の生活が貧しいということを、ボロを着ていかにも生活困窮者を装って昔の友達である農夫の家に行きます。”私は今食べるものもない、一家離散も覚悟しなければならない、ですからお宅に居る一頭の牛をわけて欲しい” とおねだりするのでございます。 実際には99頭の牛を持っておりますから生活に勿論困ることはないのですけれども、その男は牛一頭に拘って、食べるものもない、一家離散も覚悟しなければならないと嘘をついて友達に相談します。一方、その友達の家はというと 決して豊かな家ではありません。夫婦子供が、その一頭の牛を中心に農耕に汗を流しております。男は友達に嘘をついて”一頭の牛を下さい”と言い友達はそれに対して、”同じ友達なのに君がそんなに生活に困っているとは知らなかった、私のところには牛は一頭しかいないけれども、しかし,この牛がなくても 我々夫婦して働けば あしたの食の心配もないので喜んで差し上げます。

 さて、この話をよく考えてみますと、牛99頭持っている男は、結果として一頭の牛が増える。しかし一頭しか持っていなかった生活の豊かでないその友達はゼロになってしまう訳です。しかし、よくよく考えてみますと99頭が1頭増えて100頭になる。果たして その100頭で満足するのでしょうか。友達を騙してまで1頭を手に入れた。やっとのことで100頭になった。よし、次は150頭にしよう、或いは200頭にしようという、人間欲望がありますから、そういう欲の考え方が出てきますと、99から100頭はマイナス一頭でありますけれども100頭から150頭というのはマイナス50頭、或いはマイナス100頭と大変な苦労努力をしなければ、欲望を満たすことはできないのではないでしょうか。しかし、一頭の牛を快く分け与えてくれた友達はゼロになっても、夫婦家族が一生懸命努力すれば、一頭ぐらいの牛を得るかも知れないし、たとえ増やすことが出来なくても、夫婦円満で夫婦は仕事に従事すれば、そこに大きな喜びというものが頂けるのかなあ と思います。
増やしたい人間は、一晩の喜びはありますけれども、次の日にはもうマイナス50頭だ、マイナス100頭だと、また悩むことに、しかし 挙げた方は喜んでお布施したわけですから、ああ、いいことしたなあという喜びの気持ちで、翌日から仕事に従事することができる。さて、どっちが幸せなのかなあ ということでございます。

合掌