銘銘掃掃(めいめいはくはく)


「兎と亀」


 今日は皆様方がよくご存知の話からちょっと考えさせていただきましたことをお話させていただきます。日本の昔話に ”ウサギと亀”という話がございます。うさぎが亀にカケッコを申し込みまして亀さんは、やりたくなかったかどうか判りませんけれども申し出を受けてマラソンをやります。うさぎが途中ひる寝をしてしまい、亀さんが先にゴールインするという、あの有名な話ですけれどもこのような話は日本だけでなく、アフリカのカメルーンという国や、或いはロシアにもウサギと亀の話があるようでございます。
 日本のウサギと亀の話は、ウサギが安心してしまい。途中でひる寝して負けてしまうという油断大敵と、亀の遅くてもこつこつと努力をしていくことの大切さを私達に教えてくれていると思います。
 さて、これが、外国の話になりますと、カメがうさぎに競争を申し込み、日程や場所を取り決めて後日レースが始まります。 ですが、そのレースが始まる前の1〜2日余裕のあるうちに、カメは仲間、親戚に全部声をかけてそのレースをする一定のところにカメを全部配置させる。ヨーイ・ドンの合図で競争がはじまります。勿論、カメはのろいですから、うさぎに敵う訳がありませんので一定のところで代わる代わに入れ替わり、うさぎが振り返ると、後ろにぴったりついています。ということで。勝ったのはうさぎが勝ったのですが、うさぎは最後まで短距離ではありますが全速力で駆けていますからゴールした途端に死んでしまったと。ですから、日本の話は油断大敵ということを教えますが、この話は準備とか、知恵とか、連帯とかいうものをイメージする、そういう教えの話になっているそうでございます。

 こういう話というのは、寺にもいろんな法話の材料になる本がたくさんありますので、この話を元に調べてみますとやはりインドとか或いはロシアもそうですが要するに、この話をいたしますと、それはカメが悪いということになるそうです。 なぜ悪いのか、もしうさぎが寝ておったら何で起こしてやらないのか、これは友情も何にもないじゃないか、そのカメというのはとんでもないやつだ。とこうなる訳でありまして、では、果たして日本人に同じようにこの話をいたしました時に、どういう感覚をもたれるのかなあ...たとえば、うさぎのひる寝している奴が悪いのだ、起こしてあげる義務、ルールはないのだから起こさなくてもいいんじゃないかという考え方も出てくるのかなあと思います。 競争なのだから、一生懸命に走っているのだから、ひる寝して,油断大敵しているやつが悪いのだ 起こすことはないということになってしまう。となると、勝つためならなんでもいいというそんなエコノミック アニマル的感覚に、捉われすぎてしまうのかなあーと思います。

 敗者には、負者の痛みがあり 勝者の方にも勝った方の痛みというものも、出てくるのではなかろうか、負けた者は口惜しい、残念だというこういう気持ちが出てまいります。それ故に更に努力して、次回には、とこう云う気持ちにもなる訳です。その時 一番大切なのは,勝った方の 勝者の人の気持ちはどうなのかな。お前は勝負に負けたのだから、敗者だ 負け犬だ 何も云う資格はない黙っていろ と云うそんな驕り 昂ぶりとなった時には、勝者といえども、本来の人間性を失った言動、行動ではないのかな。勝った者が、負けた者に対するいたわりの気持ちを持ってこそでありますが、それが今申したように、ルールもない ひる寝していた奴が悪い、確かに悪いかも知れませんが、負けた者を罵るような勝者の気持ちというものを、我々はよくよくこのうさぎとカメの話の中に学ぶ必要があるのではないかと思います。

合掌