銘銘掃掃(めいめいはくはく)


「訓読 般若心経」


 本日もお参りありがとうございます。皆様方のご詠歌奉納戴くときはじめに般若心経をお唱えいただいておりますが普段暗記されていて漢字の経文をスラスラと読んでおられるかと思います。今日はこの般若心経を訓読してみたいと思います。そもそも般若心経は「空」を説く経典だと言われております。数えますと空の字が七つ 不が九つ 無の字が二十一あります。サンスクリット語で空のことをシューニャーと言い、空という字は上が穴で下に工という字で源字書によりますと工は物を貫くという意味で、貫いてもそこに何にもないというのが即ち空であります。だれだったか忘れましたが昔のお坊さんが空について次のようにいっております。 「空をはなれて色なし 色をはなれて空なし 水と波の如し 波即ち水なり 水即ち波なり 更に二つあることなし」とこんなふうに空を説いております。 
 ここで説かれる意味はそこに何々がありますよと気持ちがそこにいっちゃうと、それは気持ちが片寄っていますから心が乱れて波だってしまう 逆に何にもないんだと言う気持ちにも捉われてしまうとやはり心が乱れて波だってしまう。 どちらにも片寄らない捉われない気持心で居るのが空なのですよ、その真ん中を行くのが本質の道なのですよと説いておられます。中庸という言葉で仏教では云われておりますがそういう状態 空にしても 不にしても 無にしても相対的に色なんだけれど色がない でも何もないけれども色がある 赤色だけども赤色でない 白色だけども白色でないという両方を否定してその中庸を教えてくださっているのが般若心経であります。平素は暗記してスラスラと漢字の棒読みしがちでありますが、お経は読経であります。一字一字に心をこめて皆さんとご一緒に 訓読してみたいと思いますのでご唱和をお願いします。


仏説摩訶般若波羅蜜多心経


観自在菩薩(観音さまが)深般若波羅蜜多を行づる時 五蘊 皆 空なりと照見して 一切の苦厄を度したもう 舎利子 色は空に異(こと)不(ならず) 空は色に異(こと)不(ならず) 色 即(すなはち)是(これ)空  空 即(すなはち)是(これ)色なり 受想行識も亦復(またまた)如是(かくのごとし) 舎利子 是(この)諸法は空想にして不生(しょうぜず)不滅(めっせず)不垢(あかつかず)不浄(きよらからず)不増(まさず)不減(へらず)是故(このゆえ)に空中(くうちゅう)には無色(しきもなく) 受想行識も無く 眼耳鼻舌身意も無く 色聲香味觸法もなく 眼界もなく 乃至(ないし)意識界もなく 無明もなく亦(また)無明の尽きることもなく 乃至老死もなく 亦老死の尽きることもなく、苦集滅道もなく、智もなく亦得もなし、所得なきを以ての故に、菩提薩捶、般若波羅蜜多に依るが故に、心にけい礙なし、けい礙なきが故に、恐怖あることなし、一切の顛倒夢想を遠離して、涅槃を究竟す、三世の諸仏、般若波羅蜜多に依るが故に,阿耨多羅三藐三菩提を得たまえり、故に知る、般若波羅蜜多は、是れ大神呪なり、是れ大明呪なり、是れ無上呪なり、、是れ無等等呪なり、能く一切の苦を除きて、真実にして虚ならず、故に般若波羅蜜多の呪を得く、即ち呪を説いて曰く
羯諦羯諦。 波羅羯諦。 波羅僧羯諦、菩提薩婆訶。 般若心経


と このように詠むことも出来ます。 ある方が云っておられました・・・般若心経は浅草の観音さまのハトと同じだ、クウークウークウーと鳴騒ぐと(笑) それだけ般若心経は「空」を説かれてるお経でありますね。お経は読経でありますから、棒読みのあと訓読で詠んで理解を深めていただくのもよろしいかと思います。一字一句間違えずに唱えるところにご利益があると云われております経の意図するところを理解してご精進下さい。本日もありがとうございました。

合掌