銘銘掃掃(めいめいはくはく)


「安心(あんじん)」


今日もお不動様のご宝前において誓いの文をお唱えいただきましたが、その中に安心(あんじん)を求める文言があります。
テレビを見ておりますと一日100名以上の方が自殺されているそうです。一日100名というと・・・年36000名以上にもなります。非常にいたましく、混沌とした時代を迎えて、それを救うべく救急精神科医療等を入れて予防策を講じたり。或いはもう既に実行しておるという報道でありました。なぜそうなるのか・・・原因は色々千差万別あると思いますが、そういう風にならない為に仏教的にどう考えたらいいのか。自殺を防止をする”安心”を求める同じ教義の視線で 今日はお話しようと思います。

人間は、常にいくつかの不安があったり、心配事でどうしようかと悩む事は日々たくさんある訳であります。そうなった時に、どのように自分の心をコントロールするのか対処すべき方策をいくつか述べさせていただいて、皆様方の日々の生活の上に何らかの時にちょっと思い出して戴ければ有難いとそんなことでお話をさせて頂こうと思う所であります。
まず静かな場所に身を置き、心を落着かせ、今自分が考えている事が、本当に正しい事なのかどうか考えみつめ直す事が大切です・・・

☆まず静かな場所に身を置く
やはり人間は不安になった時、誰かに会いたいという気持ちは勿論ある訳で、その前に環境的にもゆっくり自分を振り返れる、静寂な場所というのが必要です。
例えば、御本堂にお詣りしたり、昔であれば深山幽谷の身を任せて自分を見つめ直すという事があった訳であります。まず自分がどうしようかと思い 悩んだ時には、静かな場所に身を置いてゆっくりと考えて、思索してみるということであります。仏教的に云えば”阿字観”であろうが”座禅”であろうが唯黙って正座してご本尊様と向かいあって、ご本尊様の心の中で会話する事も悩みを消し去る一つの方法かと思います。お檀家さんの中にも色々な悩みを持ってる方もおいでになる。住職に話を聞いてもらいたい、ご相談を受け賜る事もあるわけであります。そういう場合は山内の静かな場所で静かに向かい合いながら一緒に悩みを打ち明け相談をいただきながら、その後は30分でも1時間でも横になったり、あぐらをかいたり 静寂の中でリラックスして自分をしっかり見つめなおすのがいいのかなと思っております。

☆心を落着かせるための方法を考える
どうしても人間追いつめられると、正しいというよりも もうそれしかないと思い込み、脇が見えなくなってきてしまいがちです。一点に集中してそれだけに突っ走ってしまう危険性を持っています。自分のみの価値判断というものは、自己中心的になりがちですが、そのような自己判断、思い込みをしない、心を落着かせる、自己中心にならない、もっと広い眼で見られるような心の眼をしっかりもてるように、ご本尊様と対峙して対話してみることがこのような不安感の払拭に必要だと思うのであります。

☆本当にそれが正しいことなのか考えみつめ直す
我々は、ややもすると、あの人が好きだ、嫌いだ、立派だ、そうでないと表層面 表面だけをみて、あの人は地位が高い、或いはお金持ちだ等人を判断しやすい訳でありますけれども、そうした人間の価値というものは、地位、 財産、職業というもので決まるものではない。昔の人のモノサシは人の心や行いを見て、あの人は立派な人だと尊敬の念を持ったのであります。現代の人のモノサシでは、金銭的な面、ステータスの面だけで人を見ている・・・そんな風潮であります。人を判断する時は、あの方はどんなお気持ちであるのだろうかとか、どんな行いをされておるのだろうか、そんな正しい見方のできるのは正念、それに対してよこしまな思いというのは邪念でありますから、その邪念ない正念を持つ為に ただいま皆様がたの唱えたご詠歌道も一つのご精進である訳であります。間違っても、そういう邪念の気持ちを起こさないように我々は心がけて行かなければならない。日頃から目先の事にばかりを追い求めるのでなく広い眼で全体が把握できる、そういう努力というものをしっかり身につけて行かなければならないと思うのであります。

第一客殿の広間に額装の軸が掲げてあります。「一心もって これを貫く」要するに心の強さが不安感を拭い去るには必要であり、考えて考えて、広い眼で見た場合で間違いがないと思ったら、水が滔々と間断なく流れるように初心貫徹の意志の強さを持たなければならないということもまた大切です。今やるべき事は今しっかりやるということです。お釈迦様の弟子の中にシュリ・ハンドク インド名で云えばチュウダー・バンタラという弟子がいました。この人は、あまり頭がよくなかった。いくら教えを聞いても右から左に抜けてしまう、何も記憶にのこらなかった。それを見ておられたお釈迦様はある日、シュリ・ハンドクに一本の庭箒を渡されたそうであります。そして、お前はこれからこの場所を毎日毎日掃除しなさいと言われたのであります。シュリ・ハンドクはお釈迦様の云われたことをしっかり護って毎日毎日掃除に精をだして1年経ち2年経ちそして数年立ち、お釈迦様の云われていることをしっかり理解できて 阿羅漢の悟りを得たといわれております。一生というのは、一日一日の積み重ねが一生でありますから、今日やるべきことをやらなければ明日は良い結果が得られる訳ではない、楽しくても辛くても、大変でも、今日与えられた事は初心貫徹して、一生もち続けて行く そうした意志の強さが、必要だという事であります。
また、お釈迦様の最後のお言葉の中に”自燈明””法燈明”という言葉が出て参ります。お釈迦様が亡き後は、「人を頼りとせず 整えられた己を頼りとしなさい。そして今まで教え聞かせてきた仏の教えを拠りどころとしなさい」と、自分の内面をしっかり確立しなさい。これが”自燈明”であります。そして仏の教えを拠りどころとしなさい これが”法燈明”であります。そういう意味であんまり世間の雑音に気をとられてしまうと確固たる心を持つ事ができませんから、しっかりと広く教養を積んで、人の意見には謙虚に耳を傾けるけれども、それにあまり左右されるとかえって混乱を招いてしまいかねない、世間に惑わされない強固な意志の心をもっていることが大切ですよということです。更に教えの中に法句経というのがあります。その160番に、「己こそ 己の寄るべぞ 己を捨てて誰が寄るべぞ よくととのえし己こそ、まこと得がたきよるべをぞ獲ん」とあります。短い文言のそして教えであります。この世にうまれてくるにはお父さん、お母さん そして兄妹、親族、多くの人々のお世話になって、生きてきたのでありますが、自分の主体的なものの見方 立場、要するに一人では生きて行けないと云うことは十分に判っているけれども、それ以上に自分を甘やかせる、楽をしたいが為に人を頼りにするのは、それは間違いなんですよ と教えられております。今申しました 自燈明の ー他人を頼りとせず整えれれた己を頼りとするー これがまさしく法句経でいう 己こそ己の寄るべぞ、己を捨てて誰がよるべぞ という教えであります。仏教というのは非常に孤独に耐えるという厳しい修行の一つの方法を取る訳でありますが、人を頼りとせず己を頼りとするというのは正に厳しい修行であります。それを乗り越えて行くところに、本当の自分の実現ができるのであり、これこそが人格の形成になるということであります。
経済も今のところ何とか落ちずに済んだ・・・そう経済紙には書かれておりますけれども、まだまだ大変だというのが最初に日常挨拶に出てくるような、日本の経済状態でありまして、そしてそういうものに負けて一日100名以上 年間36000名が、自らの命を断たれておるという悲しい現実を考えたとき、今申しました1つ 2つが皆様のお耳の中に意識として残ってくれれば良いと思う次第であります。もし、何か不安な気持ちになった時は、お釈迦様の言われた ”自分こそしっかりしなければいけない、自分を頼りにしなければいけない”その一点に於いて、ご精進いただくようお願い致します.今日はお詣りを戴き、併せて皆様のご健康をお祈りいたしましてお話を終らせていただきます。ありがとうございました。

合掌