銘銘掃掃(めいめいはくはく)


「慈経」から私たちが学ぶこと


 お釈迦様の教えは、インドから スリランカ、ミャンマー、タイ、ラオス、カンボジア に伝わった「南伝」と、 中国、ネパール、韓国 朝鮮半島 日本に伝わった「北伝」というように分けて呼ばれています。
 日本をはじめとする「北伝」を大きな乗り物と書いて「大乗仏教」と呼び、東南アジア方面の「南伝」は、昨今あまり使いたくない呼び方ですが、小さな乗り物と書いて「小乗仏教」と呼んでいます。小乗仏教は、「上座部仏教」とも呼ばれており、大きい小さいではなく、こちらの呼び方のほうが正しい名称のようです。
 その「上座部仏教」 に伝わったお経の中にある<慈経>という経典をご紹介させていただきます。この経典は ミャンマー(ビルマの竪琴で有名)の信者さんたちがお読みになる経典ということでございます。

   私が 恨みもなく、悩みもなく、苦しみもなく、心も体も
       健やかでいつまでも幸せに暮らせますようお祈りいたします
   私のお父さんが、お母さんが
       恨みもなく、悩みもなく、苦しみもなく、心も体も
       健やかでいつまでも幸せに暮らせますようお祈りいたします
   私の家族が
       恨みもなく、悩みもなく、苦しみもなく、心も体も
       健やかでいつまでも幸せに暮らせますようお祈りいたします
   私の親戚や、友達が
       恨みもなく、悩みもなく、苦しみもなく、心も体も
       健やかでいつまでも幸せに暮らせますようお祈りいたします
   私の家に住むすべての生き物が
       恨みもなく、悩みもなく、苦しみもなく、心も体も
       健やかでいつまでも幸せに暮らせますようお祈りいたします
   私達の村に住む人々や動物たちが
       恨みもなく、悩みもなく、苦しみもなく、心も体も
       健やかでいつまでも幸せに暮らせますようお祈りいたします
   私達の町に住むすべての生き物が
       恨みもなく、悩みもなく、苦しみもなく、心も体も
       健やかでいつまでも幸せに暮らせますようお祈りいたします
   私達の国に住むすべての生き物が
       恨みもなく、悩みもなく、苦しみもなく、心も体も
       健やかでいつまでも幸せに暮らせますようお祈りいたします
   世界に住む人々や動物たちが
       恨みもなく、悩みもなく、苦しみもなく、心も体も
       健やかでいつまでも幸せに暮らせますようお祈りいたします
   地球に住むすべての生き物が
       恨みもなく、悩みもなく、苦しみもなく、心も体も
       健やかでいつまでも幸せに暮らせますようお祈りいたします
   東、東南、南、南西、西、西北、北、東北、上、下の十方に住む人々や動物たちが
       恨みもなく、悩みもなく、苦しみもなく、心も体も
       健やかでいつまでも幸せに暮らせますようお祈りいたします


 まず、「私が」から始まって、「私のお父さんが、お母さんが」「私の家族が」「私の親戚や、友達が」「私の家に住むすべての生き物が」というように、私だけの幸せから、祈る対象のエリアが広がっていきます。このあたりまでは、直接自分に関係しますので、誰でもお祈りをされることだと思います。
 しかし、この先の、「私達の村に住む人々や動物たちが」「私達の町に住むすべての生き物が」・・・には、ほかの方々へも心を分け与えるような そんな広い心の世界の物の見方、考え方になっていきます。
 先般、智山派が発行している小冊子の中で、ある教授が<「の」なし運動>をやりたいと書かれています。「私の」の「の」を取ってしまうという運動です、「私の財産」「私の名誉」「私の健康」「私の命」・・・「の」を付ける表現は、どうしても自己中心的に物事を考えがちになってしまうというわけです。家族の誰かが大損をしたときに、自分のことのように悲しむ一方で、自分に関係のない人の不幸には、同情はするけれども親身になって考えてあげることはない。この「の」というのが 自我を与えてしまうというわけで<「の」なし運動>を提案したいと書いておりました。
 この、お経にも「の」 という文字がついているのですが、私達の村、町、国・・・地球、十方というものにつかわれていて、広い視野や気持ちを持てるのなら「の」という表現もよろしいのかなと思います。
 こういうお経が南方の方にあって、皆様方が般若心経をお唱えするように、日々お経を読みながら修行させているようです。
 それは、自分だけでなく全ての幸せを祈っていうわけで、それは自分たちも常に心掛けたいことだと思っております。

 仏様はこのように「我々に生きなさい」と示唆しており、同時に これは我々の願いでもあるわけでございます。もし、お時間があれば何かの時にお読みをいただく、あるいはこういう気持ちでいなければいけないんだなという自分のひとつの戒めとして、 このお経をお読みいただけたらありがたいと思います。決して、悩みも苦しみも無く、心が常に 穏やかであることはあまりないわけでありますが、自分も含めて世の中の人々全てが このように幸せに暮らせるような努力というものを我々はしていかなくてはいけないと思っております。
 皆様方の日々の営みが 幸せでありますようお祈りして、今日の法話に代えさせて頂きます。

合掌