一休入魂

2007年春

第3回:2007年問題


 2007年問題とは、1947年〜1949年までに生まれた人々(俗称:団塊の世代)が2007年頃に定年を迎え、集団退職になることによって、技術、技能の継承問題、退職金による企業収益の圧迫、社会保障費の増大による財政難等の予想される問題を俗に2007年問題と称しているようです。
 団塊の世代の人口数は約680万人といわれ、日本の高度成長期を支え、ニューファミリーと呼ばれる中間階級を形成して日本の消費経済の中心となってきた世代で、今日の日本の生活基盤を築かれた世代であります。
 その人々が退職を向かえることに経済的観点からの危惧がなされているが、それに反して退職者、退職金をターゲットとした業界(旅行、自動車、不動産)は大いに期待をしているそうです。そんな中お寺としてどのように考えるべきなのか、ふと考えてみました。
 私が想像する団塊の世代というのは忙しい会社人間。いわゆる仕事を中心に家族をかえりみず、会社の為にその身をささげてきたという印象があります。実際に「仕事を辞めたらすることがない」、「何をして良いのか分からない」そんな言葉をお聞きすることがあります。その様な人々が仕事を辞めどのような生活を送るのでしょう?
 何年か前にお聞きした松平実胤先生(名古屋の犬山 継鹿尾山 寂光院ご住職)のお話に

『「忙しい」という言葉の「忙」という字は「心」を「亡くす」と書いて「忙しい」と読む』

とお聞きしたことがあります。仕事と時間に追われ心を亡くした状態で旅行や贅沢をしてもそれに何の意味があるのでしょう?その亡くした心を取り戻す為にはどうしたらいいのか、我々の仏教はその心を説いているのではないかと考えます。
 この春より當山では写経・写仏の会の開講を予定しております。写すという行為は心を移すという意味です。心の状態が顕著に文字、線に表れる、だからこそ自分の心(仏)と向き合うことが出来るというのが写経・写仏であると私は考えます。忙しさの中で忘れてしまった心を取り戻す、ゆっくりと今の自分と向き合う、みなさんはそんな時間を生活の中にお持ちでしょうか?旅行や買い物、色々とリフレッシュする手段はあると思います。しかし、お寺の和室でお香の香りに包まれながらのゆったりとした時間を過ごすというのも一興かと考えます。
 これから多くの人が退職をされ、ある人は再就職、ある人は趣味三昧等あると思います。そんな中、亡くした心を取り戻すことができる、そんな密蔵院でありたいと私は考えます。

合掌