新春特別大護摩供のご挨拶


●2024年1月1日

 新年あけましておめでとうございます。
 例年よりだいぶ暖かい除夜の1日を迎えておるかな、そんな気温の中でございます。
 こうして富山の総代ご重役、真和会の方々そして信徒の方々大勢様のご参拝をいただき元朝護摩の勤めをさせていただいたわけでございます。
 こうした「除夜」という言葉でございますが、夜を除くと書いて除夜、夜がないわけですが、こういう考え方というのはどこから起きたのかと調べてみますと、昔は年神様をお迎えになる正月、ご先祖様の御霊をお迎えするお正月ということで夜を徹して 家の中を明るく灯してそして神様であり仏様をお迎える、そんな風習習慣が除夜という言葉に繋がっていると、そのように説明がなされていますが、そういうことになりますと春のお彼岸が、あるいは秋のお彼岸、あるいはお盆、これは今でも日本民族としてご先祖供養というような意識はお持ちになっている、今申しましたように昔はこの正月もご先祖様をお迎えをするというそうした意識が一般的であったわけでございます。
 今はこうして "一年の計は元旦にあり" 1年の無事を祈るというということでございます。そして本年令和6年は、十二支でもうしますと 辰年でございます。辰は龍・ドラゴンと一緒でございます、辰(竜)という字、龍という字は、このスタンドアップという「立」の漢字が入っています。要するに上昇気流に乗る、あるいは乗るべき年というとだそうです。
 十二支の中でもこの辰・龍だけが架空の動物で、他の11種は命ある動物として認められておりますが、辰だけは架空の動物、そしてその辰=龍というのは必ず絵を見ましても全て玉を持っております。 だいたい3本から4本指、そして皇帝が描く竜というのは5本指ですが、その握っておる玉というのが、宝の玉で自分の思いがいかようにも叶うというめでたい玉ということで、宝珠を持って天に登っていく・・・どうかそのような皆様方の本年1年であっていただきたいなと心から念願をしただ今護摩修行をさせていただきました。
 しかしながら昨年を振り返ってみますと、各所において戦争あるいは隣国への侵攻というようなそんな痛ましい惨事が繰り返されております。2ヶ月ほど前、私どものお檀家様がお軸をご奉納頂きました。女性の方で女流の書家さんでございます、母親の供養ということでご奉納されました。そしてその書かれておる文字が "不遷怒" という三文字でございました。
 "不"というのは不足とか否定形な文字でございますけれども、"遷"というのは遷すという文字で、右から左に移すという、東京を遷都するなど、都を東京に遷都しようなどに使う文字で、"怒"は怒るという文字で、怒りを遷さずとよびます。
 今、日本だけではないと思いますけれども、個人を尊重するというその個人主義が顕著な社会になってきておるかな、我々はコロナで経験をいたしました。家に籠もって人になかなか会えなくて会うことができなかった、そして本来そこで、人と人のつながりがいかに大切であったかということを学び・・・学ばなければいけませんでしたが、この個人主義がどんどん行ってしまうと利己主義に結びつかないかな、個人ファーストに結びつかないかな、自分さえよければ自分の利益にさえよければ人は構わない、本来は人と人のつながりの大切さを学ぶべきところを、そうした個人ファースト主義で行ってしまうと社会の安寧も崩れていってしまわないかなということです。
 身をもって教えてくれた昨年であったと私は認識をさせていただいたところでございます。
 そうした出来ればですね、個人主義も結構ではございますけれども、お互いがお互いを思いやるという・・・そういう優しい心をもう一度見つめ直す、それが実現できる世の中が本年であってほしいと感じる昨今でございます。
 それぞれ皆様方の願い、こうなってほしい、そして我々がご本尊様に願いを託し、御本尊様の願いというのは誓う願いと書いて誓願と申します。必ずその期待に応えてあげる救ってあげたいという慈悲の心をお持ちのことです。そしてその間には願うべき我々が、しっかりと努力を傾注する、その努力と自分の願いと ご本尊様の誓願が3つ一体になって実現される・・・それがこの護摩の求めるところでございます。今申しましたように、本年がますます皆様方がご多幸でありますように心から念願をさせていただき、年頭に当たり一言を法話の一端に変えさせていただきます。
 本日のご参列、誠にありがとうございました。

合掌 
密蔵院住職 山口正純



●2023年1月1日

 新年あけましておめでとうございます。
 昨年、一昨年の除夜、そして元朝大護摩供を思い出していましたが、今日は幾分気温が高い天候の中こうして、総代、重役の方々真和会の皆様方、大勢の檀信徒の方々をお迎えして令和5年、新春を迎えるべく大勢の方にご参集、お祈りをお捧げいただいたところでございます。
 旧年、皆様方には大変お世話になりました。おそらく本年もまた皆様方の御親援ご後援をいただきながら永々と歴史あるこのお寺の維持を発展させ続けていくのかなと存じます。
 毎朝、檀信徒の方々の平安、そしてご先祖様のご回向 ( えこう ) を 三百六十五日休むことなく続けさせていただいております。本当にありがたいなとその一年であるわけでございます。しかしながら、世の中に目を移してみますと、第8波のコロナウイルス、国外ではウクライナ・ロシアの戦争、そして鳥ウイルスエンザという・・・鶏肉が不足し、卵が値上りをして、本当に息苦しい社会情勢にあるわけでございます。
 ネットで調べたところ、令和5年は癸卯(みずのとう)というのでございますが、雨や梅雨、霧など静かで温かい大地を潤す恵みの水を表す・・・要するに暖かく穏やかな水がこの地球全体を潤して新たな生命が 成長始める年であるとこのように説明があります。
 また、卯(う)というのは卯年のうさぎでございます。穏やかなうさぎの様子から、 安全、温和の意味があるそうでございます。兎のように跳ね上がるという意味もあり、卯年は何かを開始するのに縁起が良く、希望に溢れ景気回復、好転するよい年になると言われてるおります。
 この論に従えばですね、本年は皆様方、日本、あるいは世界が飛躍の年である、穏やかな年である、そのように希望をもつことができる年なのかなと、このように思うわけでございます。しかしながら、そのような意味が あるだけでは困るわけで、そこに我々一人一人の生活社会に対します努力や精進というのが合わされなければ、絵に書いた餅に終わってします。
 どうか、昨年もあるいは一昨年も皆様方は永々とご努力・ご研究して生活を守り、社会の一員として社会を守ってこられたわけでございますが、更にもう一踏ん張りご努力をいただいて、日本が世界に平穏で平和でそして発展が望めるような一年にしていただきたいとあって欲しいと心から念願をいたし、その思いを込めて只今、お不動様に祈念させていただいたところでございます。人生色々あるわけでございますが、災難が小難に、小難が無難に一年がすぎますように、皆様方の飛躍とご多幸とそしてご発展を心よりご祈念を申し上げて、御礼を重ねて年頭にあたりましての一言祝いの言葉に変えさせていただきます。
 本日は誠にありがとうございました。

合掌 
密蔵院住職 山口正純



●2022年1月1日

 新年あけましておめでとうございます。
 これから流行るであろうコロナは、今までの飛沫感染でなく空気感染という恐ろしいことを言われはじめました。
 メガネをしてマスクをかけておりますと息がメガネの方に曇りますので、視界がはっきりしませんのでマスクをご挨拶の間だけはずさせていただきますけれども、こんなお正月を寿ぐ歌がございます。
  「かどごとに 立つる小松に 飾られて 宿てふ宿に 春は来にけり」 *(『山家集』春5)
 「かど」というのは "門" でございます。近頃はあんまり門前に松を立てることがなくなり、せいぜいお料理屋さん、お寿司屋さんぐらいしかいなくなりましたがその松を立てて 「宿てふ宿に」とは、泊まる宿という字を書きますけれども、 "家ごとにそこに春がきますよ" という新春を翫ぶ西行法師さまの歌でございましす。本当にこんな歌の如くの穏やかなお正月を早く迎えたいということでございます。
 先程、ご本堂でも申し上げましたけれども、丸2年 そして、新春を迎えましたけれども、足掛け3年コロナ禍の中で、我々は生活を営んでおるということでございます。
 この前、ある本を読んでおりましたら、今までは "三密" と流行語のようにいっておりましたけれでも、今度は "三縁" だそうでございます。縁というのは糸辺にご縁と書きますが、一つは、地域のご縁がコロナによって薄れてきて、それから、テレワークであるとかあるいはオンライン授業という形で職場と学校でもご縁がこれまた、希薄になってきておる。そして、もうひとつはなにかお祝い事があると、あるいは今、お正月ですからこのことがはどうかと思いますが、ご不幸があった時もですね、まあご親戚の方はご心配なく、こういう時期ですからご縁くださいというような血縁のこの縁もコロナ禍の中で非常に薄れてきている・・・こんなことが書かれてございました。
 この三縁、社会、職場 そして親戚を含めての家族の縁が薄れますと一言でいう無縁社会というのが、現実の問題としてあらわれる。そして社会との無縁関係になりますと個人の孤独化という非常に大きな問題となってまいります。今でも、高齢化社会でございますが おひとりがこの世を去られますとおひとりの生活という社会現象がありますが、そこに、三縁の血縁が薄れることによって非常に悲しい出来事に発展する危険性をはらんでおる。
 こうした孤立化問題が出てくるこのコロナを早く乗り越えて、"WITH コロナ" という言葉もありますけれども、共存共栄が図れるのであれば、それもよろしいし、このコロナ禍を撲滅することが現代科学、現代医学によって克服できるのであれば、早くそのような社会に戻って穏やか令和4年であってほしいとただいまご本尊さま、そしてお不動様に心を込めてご祈念をさせていただきました。
 祈医(きい)という言葉がございます。ひとつは祈るという言葉を使います。そして、もうひとつはお医者の医を使いますけれども、科学という観点からの医学と同時に、祈るということに、今日皆様方が心を一つにしてお参りいただき、心からお祈りいただいた、その祈りを全ての祈医というものも社会にこれからもっともっと認識していただく言葉ではなかるうかなぁ・・・とそんなことを年頭に考えたところでございます。
 皆様方のご多幸そして飛躍を心よりご祈念申しあげて、昨年よりさらによろしい年になりますように心からご祈念、ご期待申し上げまして年頭にあたりましてのご挨拶に変えさせていただきます。
 本日はお寒い中、誠にありがとうございました。

合掌 
密蔵院住職 山口正純



●2021年1月1日

 新年あけましておめでとうございます。
 毎年當山では、大晦日の夜に恒例の除夜の鐘で大勢の参拝者がお見えになるのですが、今年は新型コロナウイルスの感染防止のため自粛という残念な大晦日となりました。
 この除夜の鐘に使う鐘楼ですが、考えてみますと、この鐘楼には、戦争中の金属類回収令でしばらく鐘がなかったわけでありますが、昭和49年にちょうど鐘楼がこちらのくぼ山の方にありましてそれを現在の場所に移して、鐘を真鍮新しく造り直したということで、約46年間、除夜の鐘ということで再興し、寺の通年行事の一つとして多くの檀信徒の方々にご協力をいただきながら、あるいは、ご参拝いただきながら盛大に催してきたという、そんな歴史のあるこの寺の鐘でございます。
 本年ご承知のようにコロナウイルスそしてその感染予防で、たいへん寂しい除夜そして、新年を迎えることになったわけでございます。 一日も早くこのコロナ禍が過ぎて、また、経済的にも人身的にも全てにおいて、元の日本そして元の世界の再来を心からご祈念をいたしておるところでございます。
 當山も毎朝お勤めの際にはコロナウイルス退散を祈願しておりますが、 當山にはおかげさまで大黒堂がございますが、この大黒様というのは日本では大変福々しいお顔をいたしておりますけれども仏教を守護し、悪魔を払ってくれる 非常にある意味では恐ろしい天部の神様でございます。 その天部の神の大黒天に祈ることが一番、祈願がかなうということが経典にもございます。 一日も早いこの祈願が通じて穏やかな令和3年の日本になるようにと期待をしているところでございます。皆様方の各ご家庭に置かれましてもどうか十分にご自愛をいただきながらこの疫病の災いにかかるこなく平安で多幸の一年をお過ごしになられますこと心から念じ、またこの一年大変お世話になりましたことを感謝申し上げて、新年のご挨拶に返させていただきます。
 本日はお寒い中、誠にありがとうございました。

合掌 
密蔵院住職 山口正純



●2020年1月1日

 新年あけましておめでとうございます。
 令和2年。西暦2020年。こうして、皆様方とともに新春を寿ぎながら、正月元旦を迎えさせていただいたわけでございます。
 本年は、ねずみ年ということでございまして、干支で申しますと十二支のうちの一番最初にもどる、出発の年であるわけでございます。 また、この一月というのは"正月"とも申しますし、また、今海洋歴でございますけれでも、旧暦、陰暦で申しますと"睦月(むつき)"がこの一月でございます。 この字はどんな字を書くのかと申しますと陸という字の"こざとへん"が"目辺"に変わったものでございます。 ネットで調べますとこの字は結ぶ月という言葉が変化して睦月になったようでございます。 そしてこの文字自体は、よく友達同士、あるいは家族同士で親睦を深めるという言葉の睦という字でございます。 漢和辞典を紐解きますと むつむ・したしむ・やわらぐ・おだやか というような訓読みでは意味があるそのように辞典に書いておるところでございます。 多くの人々が、仲良く同居するという意味がこの 睦という字にはある。
 お正月でございます。 親族があるいは親戚があるいは友達がこの正月三ヶ日会い集って新春を寿ぎながら、今年の抱負について語り合うのも大変正月としては意味があり、 この睦月という言葉に当てはまる行為ではなかろうかなと思います。 特に本年は令和の2年の令和という言葉には美しい調和、人々が美しく仲良く心を寄せ合う仲で 文化が生まれ育つという意味を持っての令和という元号のネーミングであったとも言われております。 今年は東京オリンピックということでございまして、選手の皆はこの4年間必死で努力を重ねてオリンピックにチャレンジするスプリットの発路の場所でもあるわけでございます。 また、東京に世界中の方々お迎えする我々日本人は、今申し上げた美しいやさしい心を持って世界中からお見えになる方々をご歓待するという そんな年になるのではないかと思うところでございます。
 昨年は大風、集中豪雨や地震などの災害がたくさんあったわけでございます。 とくにこの川口は、10月12日の夜半から13日にかけて台風19号の影響で新芝川が氾濫一歩手前ということで避難勧告、避難指示が出たのは記憶に新しいところでございます。 ある学者によりますと、日本列島は地震の活性化の時期を迎えているとも言われておりまして、毎年毎年、天災が後をたたないわけでございますが、せめてこの一年、震災や台風、あるいは集中豪雨を含めそうした自然災害が少ない、被害の犠牲が少なくて済むように、そしてまた、皆様方がお心の中にもっておる今年こそはというその願いを只今御護摩という仏教的手法を持って御本尊様、お不動様に御祈念をお願いしたところでございます。 この一年、日本はいいほうにいくのかなぁ あるいは、その逆の方向にいくのかなぁ と今朝TVを早く観ておりましたら20数%強の方はいい方に行くだろう その反対側のイメージを抱いておる日本人の国民が70%強という そんなデータが報道されておりました。 少なくとも我々の気持ちとしては20%が30%、40%になるように心強く自分の人生を開拓して、そして切り開いて初期の目的を達成できますように努力を重ねながらのこの一年であっていただきたい このようにも念願いたすところでございます。
 昨晩からの風がちょっと強うございましたけれども今日こうして元旦を迎えまして、薄日もさしてまいりまして穏やかな一日になりそうでございます。 どうかのこの正月を、ご家族そしてご親戚知人の皆様方とともに実りあるこの一年になるなるようにとの思いでお過ごしをいただければ、そして限りない御本尊様の御加護が皆様方の身の上に降り注がれんことを 心より御祈念申し上げまして 言葉まとまりませんけれども年頭に当たり一言ご参列の御礼を含めましてご挨拶に変えさせていただきます。
 本日のご参列、誠にありがとうございました。

合掌 
密蔵院住職 山口正純



●2019年1月1日

 新年あけましておめでとうございます。 心からお喜び申し上げます。
 本年は4月までは平成ということでございまして、この後どのような年号になるのか非常に興味津々ではございますが、 天皇陛下ご夫妻30年の治世の中においてそして天皇のお立場を退かれるということでございまして、本年はそういう意味でも、歴史に残るあるいは記憶に残る一年になるのかということでございます。
 昨年の日本というものを振り返ってみますと本当にいろいろな事件もたくさんございました。
 また、天変地異という言葉でもあるように地震でありあるいは集中豪雨など日本のあちこちで大きな被害、犠牲が発生したわけでございます。 今年こそ穏やかな一年であっていただきたいと そのように心から願いつつ、ただ今皆様方の所願成就、心の中にお持ちの願いごとをお護摩という真言宗の秘法をもってご本尊様、大日大聖不動明王様にご祈念をとらさせていただいたところでございます。
 こうして目の前にお不動様の御姿が皆様のお目に入るかと思います。
 お不動様は右手に剣をお持ちでございます。 そして左手に現代であればロープでございまして、専門用語では、羂索(けんさく) と申しまして仏の教えを聞かない人たちを仏の世界にいざなっていくという意味があります。
 そして、背中に火炎、炎をいただいていますが あれは、古代インドにおけるヒンズー教の拝火を尊ぶ思想が仏教の中に取り入れられたもので、こうしたお姿になったのではないかと学者の先生たちはそのように解釈しているようです。 私もそうであると同調する一人でございますが、今日はこの火についてお話をさせていただこうと思っています。
 この火というのは、こちらから左から風が吹いて右のほうにながれておるわけですが、本来は火ではなくガルダという鳥の形になると経典の中にとかれております。 ガルダは仏教の思想が中国に入って音訳されてカルガにかわり、経典の中にカルガという言葉が頻繁に出てくるようになりました。
 ガルダという鳥は336万里 一里というのは約4キロでございますので1334万Km。 恐らく地球の直径よりもはるかに大きな鳥の姿を火という形にしておる。
 なんでそのガルダが火なのかと申しますと、羽の一つ一つがちょうど太陽の金環日食のときのように炎でできている鳥で、地球だけでなく宇宙を飛び回っているという。 さすがインド人のものの考え方のスケールが大きいなと思うわけでございます。 そうした意味の1344万Kmの大きさの炎を表現しておるこのガルダという鳥は、食べ物が龍あるいは大蛇やコブラそういう毒蛇的な物を食すると経典にも出てきます。
 何を表しているのかと言いますとそうしたドラゴンとかあるいは毒蛇というものは人間のすなわち煩悩なのだということでございます。 この人間の煩悩を食べるのがガルダということでございます。 そしてあの炎がお護摩というものであり、その煩悩の消滅を帰するのがこの護摩修業の眼目でもあるわけでございます。 また、われわれ人間が方向性を間違えた時、どうしようかと悩む時のひとつのお灯明人を導いてくれる炎をあらわしているということでございます。
 この護摩というのは漫画チックな部分もございますけれども、古代のインドの逸話を取り入れました説話でございます。 しかしながらその根底においては、人間の欲望を取り払い。悩み少ない幸せな人生を 皆様方に歩んでいただきたいということで この護摩修業が成立してきたのだと思います。
 どうか皆様方には、お不動様のご利益を 心からご心中いただいて そして謙虚に手を合わせていただいて 頭を下げいただいて この一年を 御本尊様御不動様のご加護を頂きながら多幸で 健康で、そして飛躍の年でありますよう心から念願をさせていただき、御礼の言葉を含めまして 一言 年頭にあたりご挨拶に代えさせていただきます。
 本日は誠にお寒い中 長時間ご参加いただきまして 重ねて御礼を申し上げ護摩修行以上をもちまして 終了とさせていただきます 。 ありがとうございました 。

合掌 
密蔵院住職 山口正純



●2018年1月1日

 新年、あけましておめでとうございます。
 昨日一昨日と大変、心配いたしましたが、天気予報で、大晦日は初雪が降るといった天候不順な天気となるということでした。 しかしながら、昨日は、お陰様で、月も太陽も出ておりまして、そして今朝早く起きてみますと陽光燦々といった天候に恵まれました。 平成30年の新春 皆様方には希望溢れる新しい年をお迎えになられたことではなかろうかなと そのようにお祝いを申し上げるところでございます。
 四文字熟語で「「新年新心」」ということばがございます。 新年において新しい心をもって一年を頑張っていこうという そうした決意を心の中に秘めて 昨年のしがらみを捨てて心も体も清めて そしてこの元旦の陽光を浴びて今年こそまた 昨年以上に頑張ろう とそんな決意をもって、ただ今皆様方のお気持ちをご本尊様 大日大聖不動明王さまご祈念をさせていただきたところでございます。
 「一年の計は元旦にあり」、あるいは「一日の計は朝にあり」と昔はよく言いました、そんな気持ちを持ってどうかご精進を積み重ねていっていただきたいなぁと思うところでございます。 しかしながら この一年 世界も日本も我々一人一人も決して平穏な365日であると 断定することが出来ないのが世の中であり、人生であるわけでございまして、いろいろな坂に苦労するのかなぁ 登り坂もあれば下り坂もあり そして時には まさか という坂もあるわけでございますけれども、それにひるむことなく今日新春を迎えられて、そして初詣としてお参りをいただいて、ご本尊さまに今年はこうあっていただきたい、こうしたいという願いをどんな登り坂であろうが、下り坂であろうが、まさかであろうが どうか皆様方の努力を持って克服をしていただく決意をもって希望溢れる新年であっていただきたいなぁ とそのように思うところでございます。
 暮のうちにTVのスイッチを入れましたら、今の内閣総理大臣・安部首相がどこかの忘年会に出られたニュースが流れておりました。 その時の御挨拶の言葉の中に「申酉(さるとり)騒ぐ、戌(いぬ)は笑う」というのが言葉が引用されておりました。 昨年が酉年、そして一昨年が酉年、そして今年が戌年ということでございまして、申年の方、あるいは酉年の方には大変恐縮でございますが、申酉(さるとり)は騒いだりにぎやか年になるそうだということですが、戌は笑う年になるんだということなのだそうです。 どうかこの365日、一年が皆様方の心に、そして お顔に笑みを絶やすことのないような そんな多幸の一年であらんことを心から心からご祈念申し上げ、そして本日は大変お寒い中、早朝よりご参詣頂きましたことに重ねて篤く御礼申し上げ、年頭に当たりご挨拶とかえさせていただきます。 本日は誠にありがとうございました。

合掌 
密蔵院住職 山口正純



●2017年1月1日

 平成29年 正月元旦の新春大護摩供を執り行わさせていただきました。
 このように御堂が大変小そうございますので皆様方には大変ご迷惑をおかけしております。
 皆様方の心願成就を心よりご本尊さま、大日如来 不動明王様にご祈念をさせていただいたところでございます。
 この御堂ができまして、かれこれ20年いたしますが、毎年毎年、お正月は、今日の0:00に元朝護摩 そして、ただいま9時にお護摩ということでご眞行させていただいております。 いつも、同じようなことを言っていますが、我々の気持ちというのは、この日本と 世界が平和でありますように、そして、自分たちの生活が無事でありますように というその気持ちをもって護摩修行させていただいておりますけれども、なかなか世の中は思うようには進んでいないようです。
 振り返って、昨年 4月14日だったと思いますけれども熊本で大きな地震が勃発して、多くの尊い人命の損失、あるいは被災者をだし、多くの大切な財産を失ったわけでございます。 そのあと続いて鳥取県における地震もあり、これもこのように多くの被害をだしたわけでございます。 また、秋からは日本を縦に縦断するような台風が6回も上陸しまして、これまた被害が甚大でありました。 また、海外に目を向ければ、シリアの内戦という問題で、数百万という難民がヨーロッパに避難しました。
 我々が平和でありますように思えば思うほど、それに逆行するような自然界の猛威あるいは戦争、内戦といった悲惨な出来事が絶えないということが現状の世界であるわけでございます。
 申年が去りまして、今年は酉年をむかえました。 平成29年は正式には ひのととりどし といいます。漢字で書きますと  という漢字を使います。 昨日、この丁という字はどんな意味かあるのか漢和辞典を調べましたら、とんかちをもって木をうつ "釘"を表す象形文字を表すようです。 干支で申しますと、"草木が成長して充実した様"を表しているそうです。 また、酉という字は、サンズイがつけばお酒の"酒"という字になります。 木になる果実、果実が熟した状態、すなわち努力が報われることを表すそうです。ようするに丁という字は樹木が成長したさま、そして、酉という字は果実が熟した状態で努力が報われる。 皆様方が日々、心血を注ぎ、ご努力、ご尽力なさされ、その結果が現れる年が、この平成29年の酉年ということでございます。
 どうかその結果がいい結果となって皆様方の元に届きますよう心からご期待をしているところでございます。
 今朝ほど、ある雑誌に俳句で "くちあけて はらのそこまで初笑い" そんな俳句が目に留まりました。 今日は元旦でございます。 どうか皆様ご家族やお友達の皆様と 大きな口を開けて腹の底から笑えるように そんな一年であることを心より念願し、こうしてお寒い中ご参加いただきましたこと重ねて篤く篤く御礼申し上げまして、平成29年度 丁酉年におけます正月元旦の特別大護摩供 以上をもちまして終了いたします。 本日はご参拝、誠にありがとうございました。

合掌 
密蔵院住職 山口正純



●2016年1月1日

 あけましておめでとうございます。
 昨年11月には、フランスパリであのような大きなテロがありました。 多くの尊い人命を失うとともにフランス国民あるいは世界の人間一人一人が不安と危機感を抱いたのも事実でございます。 イスラムの教えを深く学んだことはございませんけれども、いろいろな本を読ませていただいた中で イスラム教にいたしましても、キリスト教にいたしましても、仏教にいたしましても あるいは世界に数ある宗教のどれひとつとして人を殺しことを肯定しておる教えの宗教はございません。
 むしろ、人を殺すことを教える宗教があるとすればそれはもう完全に似非宗教でございます。 宗教の名に値しない教えであろうかな。
 しかし現実の世界においては、フランスのテロだけでなくて内戦もあり、外国との 戦争もありということで、本当に穏やかなこの地球上の平和奈世界はまだまだ、遠い存在にあるなということを嫌というほど感じざるおえないわけございます。
 仏教の教えに 「戒律」 というのがございます。 その中の一番最初に出てくるやってはいけませんよというのが 殺生戒です。 人を、生き物を殺すなかれ、そうした姿勢でやはりこの一年、そして来年も将来も含めて世界中がそうありたいなぁと思うころでございます。
 仏教の経典の主文にございます 喜色(きしょく)乾坤を満たす という文言がございます。 "喜こびの色乾坤一擲命がけ" などといいますけれども、乾(けん)というのは天を表す言葉、坤(こん)というのは地を表す言葉でございます。 われわれ生きておるすべての世界が乾坤(けんこん)、そこに喜びの色が満ち溢れるという意味の文言でございまして、本年はそのような皆様方の年であっていただきたいなぁ、日本であっていただきたいなぁ、あるいは世界でそうあるべきであろうなぁ という思いを込めまして ただいまお不動様に元旦のお護摩を修業させていただいたところでございます。
 今日は、本当に穏やかなお日和に恵まれまして、この日よりと同じような皆様方の365日の一日一日永遠に持続されますように心から心から願いつつ年頭にあたり御礼を含めまして一言ご挨拶に代えさせていただきます。 本日のご参詣、お寒い中大変ありがとうございました。 心より御礼を申し上げます。

合掌 
密蔵院住職 山口正純



●2015年1月1日

 新年あけましておめでとうございます。
 平成27年、新しい年を迎えました。 今年の十干は「乙(きのと)」、十二支は「(未(ひつじ)」なので、干支は「乙未(きのとひつじ)」 ということになります。
 「きのと」 というのは自然界における 一面においては人間の協調性である、或いは社交性であるとか、仲難しくする和語性を意味する言葉が「乙(きのと)」という一文字に含まれていると説明がなされております。
 そして、「ひつじ」 というのは 口をつければ味という字にあるますけれども、果物が熟して味が豊かになる状態を羊という字は表しておる。 この暦というのは中国から陰陽五行説と申しますけれども、数千年前に日本に取り入れたれたひとつの考え方でございます。
 昨年の平成26年を振り返ってみますと 集中豪雨もございました。 あるいは台風による大きな被害もございました。 そして直近におきましては、御嶽山の噴火というような大きな大きな犠牲を伴う自然災害にも見舞われた一年でもあったわけでございます。
 今申しましたように、乙未(きのとひつじ)年、みんなが和合、仲良くして、美味しい果物の味のように互いに協力し合いながらその地味、幸せをともに感ずる年であっていただきたいなぁと。 そのようにも思う所存でございます。
 昨晩、午前0時に元朝護摩ということで、やはりこのお堂で護摩を焚かせていだきました。 そして、ただいま元日午前9時のお護摩いうことでございました。 昨晩、護摩を焚いておる時間は本当に穏やかな天候でしたが、護摩が終わりましたら北風が幾分強くふいてきました。 しかし、その北風も2、3時間でやみまして今朝はこのように晴天に恵まれて本当に日本晴れの穏やかな元日をお迎えをいただいているところでございます。 毎年申し上げておりますけれども 今年もこのような穏やかなそして陽光さんさんと降り注ぐ日本であってほしい、あるいは社会であってほしい、あるいは皆様型のご家庭であってほしい、そのように念ぜざるおえないわけでございます。
 どうかこの1年、皆様のお身体をご自愛いただいき、ご健勝そして昨年にもまして飛躍の年、ご多幸の年になりますように心からご祈念を申し上げ、新春特別大護摩供にあたりひとことご参列をいただきましたその御礼もかねまして、念頭のご挨拶と代えさせていただくところでございます。
 本日は遠近といませず、お寒い中のご参列心より厚く御礼申し上げまして特別大護摩供、以上をもちまして終了とさせていただきます。 誠にありがとうございました。

合掌 
密蔵院住職 山口正純



●2014年1月1日

 新年明けましておめでとうございます。
 平成26年正月元旦、このように大勢の方々にご参拝をいただき、ただいま大日大聖不動明王さまのまえにおきまして、本年が昨年に増しまして皆様方にとりまして、多幸で飛躍の年であることを心よりご祈念をさせていただいたところでございます。
 本年は暦の上では、甲午年ということでございます。 漢字では甲とかきますけど、この甲という漢字で 「こう」 というのは亀の甲羅を表す文字であります。 そして、干支のはじめにこの甲というのがまいりますと、暦の上からまいりますと はじめを意味する  その甲という意味というふうに説明がなされております。
 また、午という字は 元々は木偏がついておりまして、木偏に午と書きますと 「杵」 という漢字になるわけでございますけれども、元々は 牛という字はお正月を迎えるにあたって、或いは、おめでたいときにお餅をつきます道具としての臼を思い浮かべるわけでございますけれども、古代においては、うすというのは神仏にお供えするお水、お椀 そうしたものを意味しておりました。
 文化勲章をいただきました白川静先生という方、3,4年前にお亡くなりになりましたけれども、その先生の字統、字通、字訓 という3部作の辞典がございますけれども、その辞典を紐解きますと今申しましたような説明がなされておるわけでございます。 そして、そのお水をお供えする水というのは邪気を払うというのような意味もその中に含んでいるという説明がなされております。
 はじめにその邪気を祓って、そして午というのは十二支に後から入ってきた考え方でございますけれども、 要するに幸福をのせて、飛躍をするのがこの丙午年ではなかろうかなと思います。 と同時にまた、午といいますとよく思い出す格言に 「人間万事塞翁が馬」 ということばがございます。
 昔々中国の辺境の砦の近くに老翁がすんでいました。 そこには息子がいるわけでございます・・・と同時に馬も飼っておられた。 あるときのその馬がいなくなってしまいます。 しかし、それを気づいてもその翁は泰然として慌てることがなかった。 何日かしますと逃げた馬が別の駿馬を連れて戻ってきた。 一頭増えましたから、本来ならば、喜ぶんでしょうけれども、また、そのような自然体でいた。 そうしましたら、その馬に今度はせがれさんが乗馬しましたところ、落馬して怪我をしてしまった。それでも驚くことはなかった。 そして、時がたって 戦争が始まった。 しかしそのせがれさんは足を痛めていたので、戦争に従軍することはなかった。 何が幸いで何が不幸というのは、その時では判断できないというのは、この教えの言わんとしているところなんではないかと思うのですけれども。 昔から災い転じて福となす。或いは、禍福は糾える縄の如しというようなたとえもございます。
 やはり、我々1年、昨年振り返って、あの時はあんなことがあったなぁ、この時はこんなことがあったなぁと 決していいことばかり続く365日ではないわけでございますけれども、 人間万事塞翁が馬 と同じように、その時々に、喜怒哀楽を表に出して動揺することなく、今申しました 災い転じて福となるように、ただいま皆様方の除災招福 そして、飛躍を御本尊様にご祈念をさせていただいたところでございます。
 どうかご精進を重ねていただきながら、昨年より本年、本年よりまた翌年へと皆様方jの運勢そして人生が、さらにさらに 馬と同じように飛躍できますように、心からご期待、ご祈念を申し上げ、一言年頭にあたり、ご挨拶と感謝の言葉とさせていただきます。
 以上をもちまして、元旦9時の特別大護摩供終了とさせていただきます。 本日は誠にご参加ありがとうございました。

合掌 
密蔵院住職 山口正純



●2013年1月1日

 新年あけましておめでとうございます。
 今日は無風で良好燦々とした元旦となり、本当に相応しい天候に恵まれましての正月の日になりました。 本年もこのような天候の如く、穏やかな日本が、あるには世界が、あるいは皆様方のご家庭がお一人お一人のご信者様のそうした生活であっていただきたいと重ねて思うところでございます。
 昨年は、政治の世界におきまして、経済の世界におきまして様々なことが起きました。 内乱と言われる様な本当に悲惨な大きな事件も起こったわけでございます。
 暮れに京都の清水寺のご住職様が、平成24年一年間を漢字一文字で表わした際に「金」という字を書かれました。 恐らく昨年のロンドン・オリンピック日本の選手の方々の活躍で、金、銀、銅あわせて三十数個のメダルを獲得されたイメージでこの文字が選ばれたのかなと拝察しております。
 随分前にもお話しさせていたたきましたが、「金」というのは仏教的にいえば価値が変わらない、そして常に色も変わらないものでありまして、仏様が困っておられる あるいは苦しんじおられる方々を未来永劫変わらない気持をもってお救いするという意味で金を使うわけでございます。 この漢字は<きん>ではなく<かね>と読みますと、円安ドル高、円高ドル安など、為替の世界などで我々は一喜一憂するわけでございますが、、同じ「金」を<きん>と読むか<かね>読むかで、だいぶこュアンスが変わってしまいます。 我々はこの普遍的は変わらないものそして、今日の天候と同じように穏やかな日々をお過ごしいただきたいと年頭に思うわけでございます。
 先日、ある本を読んでおりますと、「歴史」という文字が目に入りました。 歴史といいますと、日本史とか世界史といったように、我々は一歩下がったところから眺めているのですが、考えてみますと、 昨年365日、皆様方も一日一日、一頁ー頁の歴史を個々に刻み、本年を迎えているわけじございます。 そして、本年も元日の今日、新たに一頁を刻んでおり、2日、3日と、また生活営みを続けていくわけでございます。 どうか この平成25年。  皆様方の一日一日をしっかりと怠けること無く、休むことなく積極的にチャレンジ精神をもって自乙開発、そして生活の改善、そして人生の目的をしっかり持ってお進みをいただき、この精進努力こそが限られた人生を生きておる我々にとって大切なのではなかろうかと思います。
 繰り返しになりますが、しっかりと一日一日の歴史を自分で作っていくという・・・そんな決意をどうか、この元旦にお持ちていただいて、ご活躍をいただけたらありがたいと思います。 そして、ご本尊様が必ず後ろがら応援をしていただいておるんだというその信頼をもってどうかご精進努力をいただき、それが日々の生活の幸福幸せにつなかっていくんだろうと思うところでございます。 今日は遠近問わず、特別大護摩供にご参加いだきまして、心より厚く御礼申し上げるとともに、皆様々のご発展ご多幸を心よりご祈念させていただきまして、年頭のご挨拶にかえさせていただきます。 本日は誠に有難うございました。

合掌 
密蔵院住職 山口正純



●2012年1月1日

 新年あけましておめでとうございます。
 皆様方におかれましては、無事越年されまして希望あふれる新年をお迎えのことと思います。
 昨年は東日本大震災をはじめ、世界中で災害あるいは経済不況、あるいは独裁国家の崩壊など注目すべき出来事が沢山起こったわけでございます。 お陰様でこの埼玉地方では3・11の震災で大きな被害があったとは聞いておりません。 本当にありがたいことである思うとともに、震災の被害に遭われた方々、福島第一原発の未曾有の事故で今なお数万人の方々が避難生活をされている事を思うと胸が痛みます。 お亡くなりになられた方々に心から哀悼の意を示しますとともに一日も早い復旧復興をご祈念をさせていただいておるところでございます。
 昨年のアンケート調査によって、一年を漢字一文字にあらわしますと「絆」ということでございました。 辞典で調べますと全てのものを繋ぎ止めるという説明があるわけでございます。 あの大震災で、日本中の善意の方々が大勢東北にボランティアで集まったり、あるいは多くの浄財をご寄付をいただいて、海外から日本人を称賛する報道も耳にするわけでございます。
 當山も色々な形で震災復興のために人的、物的ご協力を微力ではありますがさせていただきました。 その時思いましたのが、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の詩でありました。 詩の後半にこんな部分がございます。
 「東に病気の子供あれば行って看病してやり、西に疲れた母あれば行ってその稲の束を背負い、南に死にそうな人あれば行ってこわがらなくてもいいよと言い~」
 気持だけでなく、行動を展開をするということが大切なことなのでございまして、可哀想だなという想いを心の中だけに終らせず、行って実際に行動する事が大切なのでありましょう。 お忙しい皆様は、なかなか東北にボランティアに長期間行くことも不可能かもしれません。 色々な、援助、協力の方法もあるわけですが、やはり、そこに行くという行動も大きな勤めではないでしょうか。 行って悩み苦しむ人の手を握り、肩を抱き合って、悩み、苦しみ、悲しみを共有する・・・そこから本当の現状の認識というものが生まれてくるのではないかと考えるところでございます。
 年末に埼玉県知事が、一年を振り返って漢字にあてますと「乱」という字を選んでいました。 「乱」という字は、乱れるという意味が一般的ですが、「おさめる」という意味もあるそうです。 乱れたものをおさめていく・・・これも知事からすれば為政者の一つの勤めであろうと思います。 皆様方も、復旧復興が長い時間がかかることを、どうか心の隅に常においていただき何かの時にご尽力を頂けたら本当にありがたいことです。 それが我々非被災地の勤めではないでしいかと考えるところで御座います。
 今日は平成24年正月元旦、ただいま皆様方の年頭の希望念願を護摩という真言密教の秘法をもって不動明王様に祈念をさせていただきました。 どうかこの一年が皆様方にとりまして飛躍の年、御多幸の年、ご活躍の時そしてご健勝の一年で心から念願をいたしました。 御寒い中御参列頂きましたことに合わせて御礼申し上げまして、年頭のご挨拶とさせていただきます。

合掌 
密蔵院住職 山口正純



●2011年1月1日

 新年あけましておめでとうございます。
 関東地方以外では、強風、あるいは大雪だそうでございますが、ここ安行は穏やかな天候にめぐまれまして、お陰さまで陽光散々とした中、平成23年のお正月をお迎えすることができました。心よりお祝いを申し上げるところでございます。
 當山も昨夜から徹夜というような状態で、除夜の鐘に始まり、大勢の参境の信者様をお迎えいたし、そしてただいま元旦午前九時の"特別大護摩供"を御修行させていただき、皆様方の恐らく 「こういう年であってほしいなぁ・・・」 という心の中の願望を護摩という修行をとおしましてお不動さまに祈念を加羅させていただいきました。
 毎年、新年を迎えるにあたり お一人お一人が心の中にそれぞれの抱負をお持ちのことと存じますが、なかなか100%それを享受できるということはまま少ないのではないかと存じます。
 ご存知の方も多いと存じますが、経典の中に 「年々是好年 日々是好日」 というのがございます。
 この <好日> を単に 「思い通りに行った日」 あるいは 「本当に満足した一日」 だと捉えがちですけれども、この経典の中の「年々是好年 日々是好日」は もう少し深い意味があります。
 どんな逆境におかれても、どんな困難にたちむかっても、勝っても負けても
 「あぁ、今日は いい日だったんだなぁ」 という気持ちを養いなさい 

 というのがこの言葉の本意でございます。 積極的に現実を認定して、立ち向かいどんなに苦しかろうが悲しかろうが それを経験することを <好日> と感じるような精神をもつように修行しなさいと 仏様は教えておられるのでございます。
 恐らく この一年365日 本当に満足のいく日というは少ないかもしれません。
 逆に心配を常に心に抱きながら それにくじけず、まっしぐらに地に足を付けて日々を送っていく・・・そういう努力の日のほうが多いのかもしれません。
 いいことも悪いことも <好日> とうけとめられるような広い御心でこの一年を御精進賜れれば、結果として満足のいく一年になるのではないかなぁ・・・とご期待を申し上げながら、皆様方のご健勝、飛躍、ご多幸を心よりご祈念申し上げまして年頭の挨拶と御礼とさせていただきます。ありがとうございました。

合掌 
密蔵院住職 山口正純



●2010年1月1日

 あけましておめでとうございます。
 平成22年正月元旦を陽光燦燦の中お迎えのことと思います。心から御喜びを申し上げます。
「看々蝋月尽(みよみよろうげつつく)」 という言葉がございます。
臘月(ろうげつ)とは十二月の別名でございますが、時が過ぎるのは早く、ぼんやりしているとあっという間に年が過ぎてしまう。人生の臘月に悔いを残さぬように一日一日一刻一刻を大切に励めよと言う示唆に富んだ言葉でありますが、こうして新しい年をむかえられ、皆様方の心の中にある希望あるいは念願を、不動明王さまの護摩供養というかたちで ご祈念させていただいたところでございます。
 昨今、非常に世の中が殺伐としております。また、景気も非常に悪いといわれる中、ご商売をされている方、お勤めをされている方それぞれ大変な御苦労をされて日々お過ごしのことと思います。松尾芭蕉の句の中に「よく見れば薺(なずな)花咲く垣根かな」というのがございます。
薺(なずな)は、このお寺にも探せばあるのでしょうが、とても小さな花をさかせます。葉っぱを千切って嗅ぐと、そこはかと馨しい香りがいたします。 正月七日には春の七草粥にも使われるひとつでもございます。別名ぺんぺん草ともいわれるこの薺は気をつけなければ見逃してしまう小さな草でありますが、しっかりとこの寒さ、この風にたえて、 やがて花を咲かせ、実をつけ、茎や葉は食用としても重宝がられております。形、体は小さいけれどもきらりと光った存在がこの草ではなかろうかな と思います。
世の中が混沌としてまいりますと、政治が悪いの、誰が悪いのとついつい不平不満を人に向けがちですが、皆様方も、この薺のように自分ひとりは小さな存在でもしっかりと地に足をつけて 前を見て 風にも寒さにもまけず、今年を頑張っていただきたいと思います。
 仏教の教えの中に、「和顔愛語(わげんあいご)」ということばがございます。
穏やかな顔で、あるいは優しい言葉で人に接していくことは仏さまの心そのものであります。どうかこの一年御身体をご自愛いただいて、どんなに辛いことがあっても、いつもお顔に笑みをたやさず、やさしい言葉を忘れずに、お互いが助け合って生きていく・・・そんな正行(しょうぎょう)の世界を実践していただきたいと思います。

 皆様方の願意とともに、世界が平和でありますように・・・また自然のサイクルが大きな災害もなく、風雨順次な一年でありますよう心からお不動さまにご祈念をさせていただきました。
 旧年に倍しまして、皆様方の飛躍、ご活躍を心よりご祈念申し上げまして年頭に当たりお礼の言葉と共にご挨拶とさせていただきます。 本日は誠にありがとうございました。

合掌 
密蔵院住職 山口正純



●2009年1月1日

 明けましておめでとうございます。 振り返ってみますと昨年9月から10月にかけて日本の経済だけでなく、世界の経済或いは金融が急転直下まっしぐらと云われるぐらい世界金融不安と云われるような経済状態となり、それぞれ皆様方も色々なお立場でご心配もされたことだと思います。
 何とか本年はと思うわけでありまして、あれもおそらく実物経済を離れたバーチャルな金融取引がこの様な結果になってしまったのかと門外漢ではありますが考えるところであります。
今から2000年以前、中国におきましても儒教、或は道教という教えがあって 孔子様 或いは 老子様 或いは 荘子様によって理論づけられた哲学的思想がありまして、その中に

「もの壮んなれば 則ち 老ゆ 」
→何でも急に盛んになるとその急に盛んになった分だけ衰退するスピードが速い。

 自然界というのは順序があって成長していくものであり人間もその通りであります。 それがあの世界バブルと云われるように今回のリーマンブラザーズを始めとするアメリカからの金融問題で世界中が不景気になる われ先にわれ先にと誰よりも早く金儲けに人よりも一円でも余計に金儲けをしたいというそういう気持ちが結果として金融破綻ということになったということであります。
 戦後日本人は働け働け西欧に追いつけと一生懸命頑張って今の繁栄を築いてきました。 しかし歴史を見ますと今の日本人のように急げ急げというのは 何十年昔の日本人に言わせればなぜそんなに急ぐのか。逆にゆったりリズム ゆっくりゆっくりと一歩一歩間違いなく正確に物事を処して来たというのが日本人のありようであった訳であります。 明治 大正 昭和は世界に追いつけ追い越せのかけ声のもとに急げ急げと時間に追われて生活は便利になったけれども、しかし心は常に大なり小なり不安感を抱えておるそんな世相ではなかったかと思います。
 よくホテルに行きますといろいろな場所で外人さんともお逢いしますが、エレベーターに乗るときファースト・プリーズ(お先にどうぞ)  そうすると外人さんはニッコリと笑みを返してくれます。 やはり自分が一歩ちょっと引いてファースト・プリーズこういう気持ちというのも大切なことではなかろうかと昨今つくづく思うわけであります。
 自分だけでは世の中は回りませんし自分だけでは明日の保証もありません。 皆で支えあう助け合いの中に自分のいのちというのは生き生かされておるのだと言うそんな気持ちが、この一年皆様と共に仲良くそしてこういう時代だからこそ 一日も早く景気回復を願うのはわかりますけれども、あせっても あせっただけ良い結果が返ってくるかどうかという事でありますから、何故こういう社会なったのか、何故この様な経済状態になったのかこのお正月三ヶ日のお時間をゆっくりお考えいただくのもこれまた人生もしくは社会の対処法になるのかなぁとそんな事を年頭にあたり考えたところであります。
 今日はお寒い中、皆様方の御参拝をいただき只今、大日大聖不動明王様にそれぞれの皆様方の願いをご祈念させていただいたところでございます。
 昨年よりも本年が皆様方にとりまして健康で多幸な年でありますように心から念じさせていただき年頭のご挨拶とさせていただきます。 誠にありがとうございました。

合掌 
密蔵院住職 山口正純



●2008年1月1日

 明けましておめでとうございます。本年は昨年大晦日から、元旦今日にかけまして本当に天気に恵まれまして,昨晩も善男善女をお迎え致しまして除夜の鐘,そしてただいま元旦特別大護摩符の護摩修行のお勤めをさせて戴いたところでございます。 
 先の大戦より今年は63年目に当たります。又、「つちのえね」うるう年ということでございまして、十二支が一回転してねずみ年ということで皆さま方には希望溢れる新春新年をお迎えの事であろうかと思います。
 ちょうど皆さまもご存知かと思いますけれども、グリム童話というお話がございます。その中に神様が人間の寿命を決めたときの話がございますがその時人間だけでなく人間を含めて四種類の動物 ロバが最初 、2番目に犬 、3番目に猿 、4番目に人間と一編に呼んで神様曰く ロバ 犬 猿 人間に等しく30年の寿命をあげますよと言われたそうです。
 そうしたら最初にロバがもっと長く寿命が欲しいと言うのかなあと思いましたら いや自分はそんな長い命はいらない。確かにロバというのは重荷を背負うて働いて動いておりますけれども、そんな苦労するのだったら30年の寿命は入らないと云うので18年で、つづいて犬も同じように12年、猿も10年の寿命をけずったと云うことです。 さて人間はどうであったかといいますと、いや私は30年では短すぎる。 もっと下さいという そこで神様はロバの〔30-12〕残り18年、犬の〔30-18〕残り12年、猿の〔30-20〕残り10年残り分40年をたして70の寿命を人間は戴いたんだというそんな話があるわけでございます。
 昨今つい暮れの二十日過ぎのことでしたが47都道府県の男女何処の県が一番長寿なのかというランク表がでておりましたが、平均寿命が男女合わせれば80歳になろうとしている。 残念ながら男性は女性よりも6歳ほど少ないわけでありますけれども しかし神様はいまのお伽話のように日本においても長寿の世界 永生きのいのちを与えて下さっております。
 この永生きのいのちをいかに全うするか 折角戴いたいのちでありますからよく云いますけれども20代には20代の青春があり50代になれば50代の健康と青春があり、60代 70代 80代 90代 100歳 一世紀生きられた方にも100歳としての青春と健康というものが あるのでございます。
 どうか皆さま方のお体お厭いただきまして永生きのいのち最大限に悔いのないように燃焼していただきながら一年をつつがなく御多幸にお過ごし下さいますようお祈りし乍らお寒い中を参拝いただきましてありがとうございました。 これにて新年のご挨拶とさせていただきます。

合掌 
密蔵院住職 山口正純



●2007年1月1日

 新年,あけましておめでとうございます。 また、大変お寒い中、お護摩ご修行にご参列いただきまして心から厚く御礼申し上げます。 昨年、當山でも、今も鐘の音が鳴っておりますが除夜の鐘をいたしまして、大勢の方々の参拝とご参加をいただきました。 昨日は、無風状態でございまして、いつもより、大変、暖かい年越しでありましたが、元旦の今日もその延長として、どうやら天候にも恵まれているようでございます。 しかしながら、正月は、やはり寒うございます。 そうした中、當山へのご参拝いただきまして 御礼申し上げます。 実は、二、三日前ある本を読んでおりましたら、こんな歌がございました。

 とどまらぬ 年の流れにひとくぎり
 去年(こぞ)は去年とし今年を生きる


 時間というものは永遠に流れているもので、その時間に添って人は誰もが生まれ、そして、年老いていく・・・ただただ、私たちは さざ波の中に生かされておることを考えさせられます。 この歌のごとく、昨年は昨年、今年は今年と、新年を迎えて一区切りをつけ、皆様方の心にお持ちの希望、あるいは願いというものを不動明さまのご宝前におきまして護摩ご祈祷のお勤めをさせていただきその発願が成就ならんことを祈念をさせていただきました。 世の中、昨今、いろいろな事件が多発しております。 国としての規範が緩んでいるのか・・あるいは、社会、学校や家庭の中の規範が緩んでいるのか・・と同時に、最小限の単位である私という自分自身の中にあるモラルというものはどうなっているのか・・本当に考えさせられるような事件や紛争、あるいは、学校においてのいじめや悲しい自殺、履修すべき授業を履行しなかった問題などが提示されました。 また、子が親を殺し、親が子を殺すという本当に殺伐とした世の中を思わせる事件も多発いたしました。
 やはり、自己を見つめ、自分自身のモラルや規範を念頭において、深く思いをはせる必要がますますあるのではないでしょうか? 何か正月早々、苦言的な言葉になってしまいましたけれども本当に危惧をいだいているところでございます。 しかしながら、本日お集まりの皆様には、どうかご本尊さまのご加護を頂いて、そして、今年は昨年以上の飛躍の年になりますように あるいは、多幸の年となりますように心をこめてご祈念をさせていただいたところでございます。 どうかご不動様のご加護を信じ、さらにご自分の努力と精進をさらに重ねていただきまして、本当にこの一年が多幸でご安寧な年になりますよう心よりお祈り申し上げて、年頭の挨拶とさせていただきます。

合掌 
密蔵院住職 山口正純